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No.114 「アドリア海沿岸のクロアチアとスロベニア紀行」
9A(クロアチア)とS5(スロベニア)に出かけたと言うとDXサービスに出かけたようで聞こえが良いのですが、実のところ「陽光輝くクロアチア・スロベニア8日間」の観光ツアーに出かけてきました。1月8日に成田空港を発ち、アムステルダムを経由してイタリアのヴェネツィア(英語でヴェニス)からバスでスロベニアとクロアチアへ、途中、ボスニア・ヘルツェゴビナの免税店に立ち寄るなど珍しい体験をして15日に戻ってきました。
予期しない出来事
成田空港を1時間遅れで出発したKL862便は経由地のアムステルダムへ遅れを取り戻せないまま、さらに30分遅れで到着。急ぎ入国審査を通り広い空港の端から端へ駆け足で移動、KL1663便はすでに搭乗が始まっていました。降機から搭乗までの時間が30〜40分、預けた荷物は乗り継ぎ便に載せたか?不安を抱えたまま目的地のヴェネツィアへ。
ヴェネツィア空港では入国審査がなく荷物の受け取りに進み、ターンテーブル前で荷物を待ってもスーツケースが出てきません。ほどなくしてKL862便から乗り継いだ客の荷物は積みこまれていないことが分かりました。Lost & Foundで掛け合うと「荷物はアムステルダムから明朝一番に届くから取りに来なさい」と事務的な受け答えに取り付く島がありません。結局、丸二日間着の身着のままで過ごすことになりました。
ヴェネツィア空港のLost & foundの窓口
バルカン半島への興味
スロベニアとクロアチアはバルカン半島に位置し、北西にイタリア、オーストリア、北東にハンガリー、東にルーマニア、ブルガリア、南にギリシャ、南西にアルバニアと国境を接し、西ではアドリア海に面します。かつてのユーゴスラビア連邦人民共和国(以下、ユーゴスラビア)は、民族的な紛争によりマケドニア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、スロベニア、モンテネグロがそれぞれ独立しましたし、2008年2月、セビリアの自治州とみなされたコソボが一方的に独立を宣言して今日に至ります。
YU1NR Ratkoさん
セルビア共和国(旧ユーゴスラビア)のYU1NR Novakovic Ratkoさんは世界的なコンテスターとして有名でJASTA(日本アマチュアSSTV 協会)主催のSSTVアクティビティ・コンテスト、NVCG(西日本画像通信グループ)SSTVコンテスト、QTC-Japan SSTVコンテストの常連であり、上位入賞者としてSSTV愛好家の間で知られる有名人です。友人たちが彼の地の内戦を気遣っていると、Ratkoさんは何事もなかったようにコンテストに参加して元気なところを見せてくれました。それと言うのもセルビアの周辺国が戦場になり、Ratkoさんのところは紛争に巻き込まれなかったようです。
日本のSSTV愛好家のところへ電話をしてきてアマチュア無線事情や入賞状況を尋ねるRatkoさんに親しみを覚えるとともに、バルカン半島の民族紛争に関心を持つようになりました。2002年6月、フリードヒスハーフェンの「HAM RADIO」を取材した折、Ratkoさんの友人YZ7AAと会場でアイボールQSOした思い出があり、いつの日かバルカン半島に行ってみたいと思うようになり今回の旅へとつながりました。
YU1NR Ratkoさんとシャック
ヴェネツィアからスロベニアへ
早朝、ヴェネツィアのホテルをバスで出発、紺碧のアドリア海に沿ってスロベニアのポストイナを目指しました。近づくにつれて辺りは一面雪景色、ヨーロッパ一の規模を誇る全長21kmの「ポストイナ鍾乳洞」に到着しました。駐車場は除雪してあるものの車がなく観光客もまばら、入場すると遊園地を思わせるようなトロッコがあり、これに乗って人工トンネルを走りぬけて10分、インディ・ジョーンズの地底探検気分を味わいながらトロッコの発着場に到着。これより1時間のガイド付き洞窟ツアーの始まり。巨大な洞窟を登ったり降りたり、スパゲッティのような純白の鐘乳石やカーテンのように透けて見える鐘乳石、巨大な石柱などを堪能しました。入場料 19ユーロ(2,470円)
ポストイナ鍾乳洞の石柱
ポストイナから約100km走行して「ブレッド湖」へ。ロマンチックな湖(東西2.1km、南北約1.4km)と評されるが、降雪で辺り一面が真っ白、真冬のブレッド湖も粋じゃないかと強がる中、大男の漕ぐニ丁櫓で観光客20人が湖に浮かぶ島へ。人力による運航は自然環境に配慮してガソリン・エンジンを禁止したため。島にはスロベニア人あこがれの聖母被昇天教会があり、タイミング良くひと組の結婚式が行われていました。このあたりはハプスブルグ家の保養地として発展し、近世ではチトー大統領の別荘があり、没後、超高級ホテルに変わったということです。湖畔のブレッド城の見学は積雪のためにバスが山道を登れなくて中止に。その後、クロアチアの国境を越えて宿泊地のオパティアへ(60km)。ホテルにはスーツケースが届いていました。
湖に浮かぶブレッド島に聖母被昇天教会がある
翌朝、アドリア海沿岸を約300km、6時間走行してシベニクへ。シベニクを有名にしているのが聖ヤコブ教会[世界遺産]です。1432年に建築を始めて100年後の1555年に完成したゴシック様式とルネッサンス様式が調和した大聖堂。市庁舎を見学した後61kmの道のりをトロギールヘ。トロギール[世界遺産]はクロアチア本土とショルタ島の間の海峡に浮かぶ街。紀元前385年頃ギリシャ時代にさかのぼる古都。周囲に水路を設けて半島と切り離して城壁を巡らした。島全体が旧市街となっていて、本土とは橋一本で結ばれている。聖ロヴァロ大聖堂、北門、市庁舎、時計塔、ロッジアなどを観光。
シベニクの聖ヤコブ教会[世界遺産]
次に古代要塞都市スプリットのディオクレティアヌス宮殿[世界遺産]へ。古代ローマ皇帝、ディオクレティアヌス帝(244年〜311)がトルコからエジプト一帯を統治し、305年から没するまで6年間をこの宮殿で過ごす。帝国の衰退に伴い廃墟になるが、一部の人たちが住み着く。現在も城壁の中に600人ほどが生活している宮殿遺跡。皇帝の居室をイメージできる宮殿の地下(浴場など)を見学。大聖堂、ジュピター神殿など。
スプリットのディオクレティアヌス宮殿[世界遺産]
スプリット〜ドゥブロヴニク間227km、所要5時間、アドリア海沿岸をドライブ。途中ボスニア・ヘルツェゴビナの街ネウムに立ち寄り免税店でお土産を購入。クロアチアとの国境にパスポート・コントロール(検問所)があるがおとがめなしに通過。わずか7kmのボスニア・ヘルツェゴビナの領土を通ってドゥブロヴニクへ。
ドゥブロヴニク旧市街 [世界遺産]
クロアチアの最南端のアドリア海岸の都市。地中海性気候で年間平均気温が17℃、冬の気温は10℃、夏で27℃と穏やかな気候。ギリシャの植民地を起源に海上交易国家として、ヴェネツィアやトルコに支配されながらすぐれた外交手腕と年貢を払って発展した。旧市街は全長1940mの城壁に囲まれ堅固な防御施設で壁厚は本土側で4-6m、海側では1.5-3m、高さ25m。1991年秋、ユーゴスラビア人民軍が市街と無防備の市民を激しく攻撃、数カ月にわたり貴重な文化芸術遺産を破壊した。1992年クロアチア共和国の誕生を経てドゥブロヴニクが復活した。ピレ門から約100段の階段を一気に上り城壁を半周、城壁から見る赤い屋根と紺碧の海のコントラストが美しい。スポンザ宮殿、ドミニコ会修道院、旧港、旧総督府、大聖堂などを見学。5つの施設入場料70クーナ(1,260円)。昼食後、プリトヴィツェへ移動、約450km、所要6時間半。
ドゥブロヴニク旧市街 [世界遺産]
プリトヴィツェ湖群国立公園
1979年に世界自然遺産に登録。16の湖と90以上の滝が点在する景勝地。1991年3月、クロアチア紛争の最初の武力衝突であったプリトヴィツェ湖群事件の舞台となった。国立公園に駐屯したクライナ・セルビア軍の公園占拠により、ユネスコは世界自然遺産の危機遺産リストに指定したが、1992年12月地雷撤去を進んでいることから指定解除に至る。大小16のきれいな湖が総高低差150mで互いにつながり、それを結ぶ無数の滝。湖畔をめぐる遊歩道、1267の植物種と澄んだ空気。321種のチョウ、161種の鳥、21種のコウモリ、カワウソ、オオカミ、ヒグマが生息。冬期はトレイル(山岳路)が通行禁止なので山側の雪道を歩いて展望台から真っ白な雪と湖の景色を堪能。入場料70クーナ(1,260円)。昼食後、クロアチアとスロベニアの国境を越えてリュブリアーナへ。192km、所要3時間半。
プリトヴィツェ湖群国立公園 [世界自然遺産]
あとがき
スロベニアとクロアチアを無事に旅行できたのも民族紛争の終結のおかげと思わねばなりません。整備された道をそれると地雷に触れる危険があると脅されたが、まんざら嘘でもないと思わせる雰囲気に怖いものを感じたのは確かです。また、バスの車窓からアマチュア無線のアンテナが見られないかと目を凝らしたものの、ついぞ見かけることはなく、スロベニアの首都リュブリアーナでホテル周辺を散策した時も駐車中の日本車を多数見かけたが、アンテナを付けたモービル局に出あうことはありませんでした。それでもバルカン半島に理解を深めた良い旅だったと思い返しています。(全走行距離1,200km)
[参考文献] るるぶ情報版「クロアチア・スロヴェニア」JTBパブリッシング 「ドゥブヴェニク」歴史・文化・芸術遺産 FORUM d.o.o. 「道路観光マップ」クロアチア政府観光局