Onlineとーきんぐ
No.129 「ex JA1AYCが遺した12枚のQSLカード」
QSLカードは交信した証しとして発行するもので、それぞれ思い出深いものとして大切に保管され、アワード(AWARD)を申請するためにエンティー(ENTITY)別に分類・整理され長く保存されます。もしサイレント・キー(Silent Key)*により閉局したような場合、無線設備やQSLカードの行く末について考えたことがあるでしょうか。
*アマチュア無線家が亡くなったときに使われる、尊敬を込めた言葉。CWで使うキー(電鍵)が静かになってしまったという所に由来する。[BEACONアマチュア無線用語集]より。
世界一万局よみうりアワード(世界第60号)を受賞(2004年12月3日)した友人(ex JA1AYC、1938-2003)のQSLカードをボランティアで引き取り約7年間保管した後、ミーティングのたびに親しい友人たちの手によりねんごろに焚き上げてその役割を全うしましたが、最後に残った千枚ほどのカードを焼却する前に12枚を抜き出してデザインの観点から考察してみました。(以下、コールサインの後の括弧内の年月日は交信日)
KH0/JA1AYC (2000年1月26日〜31日)
サイパン島マリアナリゾートから運用した時のQSLカード。SSB/700、CW/280、RTTY/400、PSK31/50 合計1,480 QSO、6大陸60エンティティを達成した。松本正雄氏はモービルハム誌で「ディスカバー・ハムライフ」を連載し豊富な経験と博識を余すところなく披露され、その後WEBサイトで「PSKのすべて」や「ARRL訪問記」「南の島に雨が降る」「IC-756PROII 新機能群とその実力」などを次々と発表して、鋭い観察力とアマチュア無線への温かな視線が多くのファンを魅了した。両面印刷。
KH0/JA1AYC
K1ZZ(1980年8月24日)
ONE OF THE ARRL HEADQUATERS GANGとプリントしてある通り、ARRLの最高経営責任者(Chief Executive Officer)を務めておられる。無類のCW好きとして知られ、IARU(国際アマチュア無線連合)国際会議の合間を縫って深夜、記念局からキーを叩く姿を見かけた人は少なくない。カードのデザインはアメリカらしさを感じさせる。ARRLの役員と本部のスタッフのバッジのカラーが赤なのでカードも同じ色を採用している。因みにVE(ボランティア試験官)のカラーはタン(Tan、日焼け色)。片面印刷。
K1ZZ
K1CVF(1991年2月17日)
ポパイが電鍵操作をして送信機から同軸ケーブルがオーリーブの腕に給電している愉快な漫画カード。細部を見るとスイーピーの頭に電鍵が載っているし、コールサインボードの上にジープの顔が見えている。丘の向こうでウィンピーがとぼけた顔で「PSE QSL TNX!」の吹き出しもいい味だしている。典型的なアメリカ文化が匂うQSLカード。片面印刷。
K1CVF
JA1AA/QRP (1993年7月31日)
18MHz CWモード出力5W、HB9CVアンテナで交信したカード。庄野氏のQRP*運用の一枚。JAPAN UNICEF HAM CLUBの9N(ネパール)の子供に医療援助に賛同した啓蒙型のカード。RMKS(備考)にQRP:3mW-AJD、5W-DXCC-211/225、5mW-WAC-4/4の記載も。コールサインのそばにex J2IB-1938(開局)、74Yrs(歳)と記されているが、2011年は92歳におなりか。両面印刷。
*「小出力」または「小出力局」を表すQ符号。元来、「こちらの出力を小さくしましょうか?」という意味だが、小出力運用であることを示すときに使われる。[BEACONアマチュア無線用語集]より。
JA1AA/QRP
JA1BC (1983年 2月 3日)
1952年(昭和27年)11月18日の開局から30年を記念したQSLカード。コールサインの下に自作の7,14,21MHz帯A1,A3受信機、送信機、変調機などと共にCQ誌や内外のQSLカードが写真に収まっている。その右側に無線設備の構成を示す資料価値の高いデザイン。裏面にはRIG;ICOM IC-221の書き込みがある。両面印刷。佐久間澄久氏の足跡は[黎明期のテレビ放送を支えて] を参照ください。
JA1BC
JA1ADN/2 JA1EFT/2 JA1QCQ/2(1975年6月13日)
富士山頂の写真にON THE TOP OF MT.FUJIの文字が誇らしい移動運用のQSLカード。井原 昇氏(JA1ADN)HAM JOURNAL編集長、田中智信氏(JA1EFT)CQ ham radio編集長、宮本澄夫氏(JA1QCQ)同編集主任が山頂で運用した特製カード。しっかりしたカメラワークは編集者らしくアクティブなアマチュア無線家集団であることを示す一枚だ。コールサインと交信データ欄は銀色で印刷して富士山の雰囲気を壊さない配慮が行き届いている。運用は50、144、430、1200MHzの3バンド、モードはAM、CW、FM、SSB。片面印刷。
JA1ADN/2 JA1EFT/2 JA1QCQ/2
JA1AEA(1981年12月18日)
コールサインとデータ記入欄のみ、無駄を排したすっきりしたデザインが特徴の片面印刷。NIPPONとTHE LAND OF THE RISING SUN(日出ずる国)に強いこだわりを感じられる。金色のNIPPONとコールサインの袋文字に金粉を付着させたような印刷におしゃれなセンスが光る。鈴木 肇氏はSSB送信機、受信機の製作記事の草分け的存在であり著名なDXerの一人。
JA1AEA
JA1AYO(1974年2月24日)
コールサインとイラストの一部に赤を効果的に配色した2色刷り片面印刷。カードの下部は無駄を排除したシンプルなデザインが好ましい。交信データはタイプライターで丁寧に美しく印字されている。丹羽一夫氏は共同通信社技術部、CQ ham radioの編集長を歴任。「ハム局運用ガイド(国内QSO編)など多くの著作がある。長年、JARL役員として活躍しておられる。
JA1AYO
JA1DBV(1978年5月7日)
手描きのシャックをカード一面にデザインしたカード。イラストの中央に[SSTV JA1DBV]の文字が見えるのはモノクロ・スキャン・コンバータ。当時、ロボット・リサーチ社がモデル400を発表してスキャン・コンバータ時代に突入した。次いでJASTA(日本アマチュアSSTV協会)からSC-77、CD-78、KB-78などが頒布され、アルインコからEC710、720シリーズが発売されたのもこの頃。平林雄光氏はSSTV愛好家として活動する傍ら21.440MHzで世界一周ヨットを支援しておられた。両面印刷。
JA1DBV
JH1FVE(1989年2月26日)
シャックの一室で「使用済み切手を整理する子ども達」の笑顔が印象に残るユニセフハムクラブのキャンペーン型のカード。1982年1月1日、日本ユニセフハムクラブは、UNICEF(国連児童基金)に協力し、開発途上国の理解と自立のための援助活動を通じて貢献することを目的として71人のアマチュア無線家により結成。日本キリスト教海外医療協力会[JOCS]への協力事業として使用済み切手やテレフォンカードなどが貴重な財源に生まれ変わる「使用済み切手運動」をしている。高野 章氏はSWL(JA1-7777)活動も。両面印刷。
JH1FVE
JH1VVW(1972年9月17日)
墨一色の背景に骨太のオリジナルな文字で力強く描き、コールサインは銀色。それ以外の情報は一切ないという異色のQSLカード。オペレーターの当時の年齢を推定すると16歳。渋すぎるデザインから若くして大成する素質を見た思いがする。運用バンドは50MHz、ICOM IC-71トランシーバー、25m High 5エレメントYagi の記載が見られた。両面印刷。
JH1VVW
JO1JET(1982年5月29日)
満開の桜の下で小学5年の小林浩一君が430MHz FMハンディ機で交信しているカラー写真をデザインしたカード。当時11歳とすると現在は40歳になるが、無線局等情報検索によると14MHzを含むオールバンド10Wの免許だが、残念ながら名前が伏せられているので本人かどうかがわからない。「JARL会員局名録2010-2011」にもコールサインが載っていないが、免許が続いていることを期待している。両面印刷。
JO1JET
おわりに
QSLカードの紹介が1エリアに偏っているのは、松本正雄氏が遺した膨大なQSLカードなかから最後に残った1エリアの約1,000枚の焼却を前にして感傷的になった友人の一人が、「デザインに優れたカードを紹介してお仕舞いにしよう」と言い出したため、手分けして50枚ほどを抜き出し、さらに12枚を厳選してここに紹介する流れとなりました。いずれのカードも20年〜40年前のものですから現代の状況とかなり違うことを前提に鑑賞いただければ幸いです。