[免許取得]

しかし、大学には仲間がいなかった。歯科医の資格を取るための国家試験があり、勉強はおろそかにできなかった。体を鍛えなければと「拳法部」に入部しており、その練習もあった。加えて下宿先が千里山であり、枚方の校舎に通うのに2時間ほどかかっていた。「下宿は父親の知り合いの家であり、勝手に学校の近くに移れなかった」と当時の苦労を語る。

それでも何とかハムになりたいと、暇を見つけて勉強した。「法規は本を買ってきて勉強した記憶がある」という。試験はそのころ門真市にあった大阪電気通信大で行われており村上さんは第2級アマチュア無線技士に合格する。既成の無線機の販売されていない「自作時代」である。部品を買い集めて自作しようと準備を始めたが周囲には「誰も教えてくれる人はいなかった」と言う。

[開局は福岡]

結局、大阪時代は免許をもったままで終わった。「歯科医師の資格を取る勉強も忙しかったし、やむをえなかった」と、現在でも納得している。福岡に帰った村上さんは父親の歯科医院を手伝う。修猷館の仲間はほとんどがハムになっており、再開された後早くに免許を取得したらしく皆「2文字コール」である。アマチュア無線が再開された当初、コールサインのサフィックスはアルファベット2文字であった。その後のハムの増加にともない3文字になったいきさつがある。

村上さんがアマチュア無線を開局したのは福岡で治療に専念し始めてから2年ほどたってからである。ある日、治療にきた患者さんとふとしたことがきっかけでアマチュア無線の話になった。村上さんが「従事者免許だけは持っているのですよ」と言うと、その人は「ぜひ開局してください」といい、開局までの段取を教えてくれた。

アマチュア無線雑誌を見ながら部品を買い集め、送信管に807を使った送信機を組み立てることにしたが、細かなことになるとわからないことも多い。無線部の同窓生も就職して近場にはいなかった。それでも何とか組み立てることができた。しかし、時代は自作からメーカーの既製品の時代に移りつつあった。無線局の落成検査が廃止されようとしていた。

[HFからVHFへ]

この年、昭和33年(1958年)はアマチュア無線にとっては大きな変革の年であった。5月6日に電波法の一部改正が公布され、新に「電信級」「電話級」が設けられ、従事者免許が終身免許となり、複雑であった免許手続き、検査も簡略化されるようになった。これにともない、翌年12月には開局に際しての無線設備検査が無くなり、既成無線機の場合には書類の提出だけで保証認定されることになった。

村上さんはこの制度を利用して開局し、しばらくはHFを楽しんだ。その後、50MHzのVHFに乗りかえる。理由がいくつかあった。「HF帯が混んできたことと、50MHzでも結構遠方と交信ができることがわかってきたからだった』という。しかし、それ以上の理由があった。テレビで放映された「ハイウェイパトロール」に魅せられたからであった。

「ハイウェイパトロール」は米国の高速道路を警らする警察官の物語であり、日本では昭和31年(1956年)ころから放送され、パトカーの窓から無線機のマイクを取り出し交信するかっこ良さに当時の若者はあこがれた。村上さんは白色のクラウンをもっており、早速、無線機を取り付け、できて間もない「JMHC福岡」に加入する。

50MHz/144MHzで村上さんが交信して得たカードの一部

[JMHC福岡の活動]

JMHCではラリーやフォックスハンティングを行い、また電文受信訓練などをやった。「ラリーでは無線でクイズを出題し志賀島をゴールとした時もあった。フォックスハンティングは、大壕公園を会場にしたりした』と言う。電文受信訓練は災害時の非常通信を想定、送信内容が間違いなく伝わるように能力を高めることが目的だった。

会員には放送局勤務のハムが多いのが「JMHC福岡」の特徴であった。昭和48年(1973年)当時で約20名。20%近い構成比であった。このため、VHF、UHF帯での電波伝播調査を行ったり、自作機の組み立て講習など技術面の活動も活発だった。モービル機にはFDFM-1を使う人が多かったが、50MHz機の自作にチャレンジした会員もいた。

[44クラブ]

50MHzに飽き足らなくなったハムは144MHzでの交信を始める。50MHzが賑やかになりすぎたのと、144MHzモービル機やハンディ機が発売されたためである。村松さんらは144MHz仲間と「44クラブ」を結成する。福岡では60名ほどの集まりであるが、やがてこの組織は全九州に広がり、中国の山口県まで巻き込んで現在でも「九州・山口オール44ネット」として続いている。

平成6年熊本で「オール44ネット」大会

「44クラブ」の発足時期は、昭和40年(1965年)代の末だった。中心となったのはタクシーの運転手さんだった。すでにタクシー無線機があったが、全車が搭載したわけではなかった。夜間、遠方までお客を送った帰りの寂しさを紛らすためには絶好の道具になった。現在でも福岡市内の中心地にレピーターが設置されている。

[福岡歯科医師アマチュア無線クラブ]

村上さんが中心となっているクラブがもう一つある。「歯科医師アマチュア無線クラブ」である。会員は約20名。JARLの登録クラブになっており、JA6YTZのクラブ局も設置されている。「アマ無線の免許を持たない若い歯科医師に免許を取らせて数を増やしてきた」と村上さん。

村上さんは歯科医師の仕事をこなしながら、VU帯にまたがるこのような活動を続け、さらに現在も続けているが、他にヨットと絵の趣味をもつ。舟は第一級船舶免許をもつ。絵は油絵で、仕事場である医院にも掲げられている。

福岡市歯科医師アマチュア無線クラブ昭和59年の集まり