[JMHC岐阜設立]

144MHz帯の高品質に魅せられた平光さんは「HFのことは忘れて、このモービルに最適な144MHz帯に熱中した」と言う。「GMHC岐阜」発足は昭和44年(1969年)6月10日。会長に児島さん、副会長に吉田さん、そして事務局長に平光さんが選ばれている。翌年1月3日には「GMHC岐阜」の第1回総会が23名を集めて開催され、その折りに「JMHC岐阜」への名称変更が決まる。

岐阜のモービルハムの歴史は、最初の段階から行事の月日まで把握できる。会誌が発行され、周年ごとに記念誌も発行されているためである。恐らくは全国のJMHC組織のなかで、もっとも資料が整っているといえる。しかも、最初のころの役員が今でも健在である。他のJMHC組織の場合、立ち上げたころの役員がすでになくなっているところも多い。

「JMHC岐阜」の発足が若いハムによって進められたために、今でも定年前の人もいる。この稿を書くにあたっても調べる手間が省け、しかも正確な著述ができる。記念誌は最初が10周年、次ぎが20周年に発行され、その後は5年ごとに編まれている。各号ともに詳細な年表付きである。その10周年の記念誌に藤井さんが発足時のことを報告している。

「JMHC岐阜」創立10周年に際して発行された記念誌

[発足の裏話]

「GMHC岐阜」の最初の総会の場が「JMHC岐阜」の発足の場になったのは、全国的名つながりをもつ「JMHC」を知ったからであり、すでに活発に活動している「JMHC東海」の森一夫会長に、全国の情報などを尋ねている。「発足にあたり会則の作成、会員名簿、役員の編成をし、会長には2文字コールの方をということになり、鈴木幸重(JA2HJ)さんにお願いすることを決めた」藤井さんは記している。

JMHC岐阜 初代会長に選ばれた鈴木幸重さん

藤井さんは鈴木さんとは50MHzで交信している間柄であった。そこで、石槫健司(JA2KKP)さんと2人で「会則と名簿を持ってお願いに伺った」と言う。鈴木さんは快諾されたが、後でわかったことは勘違いしての承諾だったらしい。それ以前にクラブ結成を準備していた「FM岐阜クラブ」が鈴木さんに会長就任を依頼しており、後日正式にとなっていたらしい。

藤井さんによると「FM岐阜クラブは会則、会員名簿が整っていなかったために、正式依頼ができない状態だった。そこに我々が依頼に伺ったため"前クラブ"と思い承諾された」らしかった。「JMHC岐阜」の発会式はこの年の6月19日に岐阜南青年会館で行われ、会長に鈴木幸重(JA2HJ)さん、副会長に吉田善次(JA2DBI)さんを選出した。2人はともに岐阜県警勤務の間柄だった。

[わずか数名]

その発会式はJARL岐阜県連絡事務所長の細野豊(JA2GW)さんを招いて行われたが参加はわずか数名。そこで、藤井さんらは改めて組織作りを再検討し東濃、飛騨方面にも参加を呼びかけ、8月5日に平光さんが勤務している岐南工業高校で最初の総会を開催し、会則を発表している。

この時の総会で会員が36名となったことから「JMHC岐阜」は8月10日にJARLに申請し、登録クラブとして認められる。さらに9月には岐阜、飛騨、東濃の3支部制を取り入れ組織を拡大している。このように眺めていくと「JMHC岐阜」は柔軟性をもち、しかも行動が迅速である。さらに、組織作りなども整然と進めており、他のJMHC組織にはない活動を進めていることがわかる。

昭和45年8月「JMHC岐阜」の初の総会が開かれた。

[JMHC岐阜の特長]

その後「JMHC岐阜」は、組織を拡大していくが、必要に応じて臨時総会を開き、各支部ごとの総会も頻繁に実施し、そのような会合を通して物事が決められていく。全国他のJMHC組織では「車からの交信とドライブを楽しむ」のが目的であり「しょせん、遊びの集まり」という割り切った考えが多い。そのなかで「JMHC岐阜」の運営は異常なほどまじめであった。

考えられるのは参考にした隣県の「JMHC東海」の影響である。森会長のもとに進められた「JMHC東海」も「遊び」のなかにもアマチュア無線としての筋を通していた。「JMHC東海」の森会長は当時、JARL東海支部の会計幹事の職にあり、JARLの組織運営方法も参考に取り入れ、JMHC組織を強固なものにしていった人である。

「JMHC東海」についてはこの連載の18回から20回で紹介しているが、一時は会員数700名という日本最大のJMHC組織を作りあげ、月刊の会報を発行し、JMHC会館まで建設した。森さんに相談した岐阜はそれだけに最初からしっかりした組織作りや運営ができたものと思われる。

[多い公務員会員]

また、会員の職業により組織が性格付けられた可能性もある。昭和54年(1979年)当時の会員リストをみて驚くのは公務員の多さである。とくに岐阜支部の場合、コールサインをもつ会員94名のうち実に50名が公務員である。他のJMHC組織には見られない現象であり、物事を理詰めで進める傾向のある公務員の性格が組織にも反映されているといえなくもない。

平光さんも「公務員による組織運営がうまくいっている」と指摘する。「発足時から公務員が多く、県内を転勤する公務員会員の"ハム菌増殖作用"は強力で、職場の組織力を活用して進められてきた」と、記念誌に書いている。もう一つ考えられることは、JARLの登録クラブとしてJARLと不即不離の活動が続いたことである。事実「JMHC岐阜」の役員にJARL岐阜県支部役員との兼務も多く、また、後に支部長となる役員も何人かいる。

「JMHC東海」の当時の会長である森さんはさまざまな影響を与えた