[活動開始]

発足したJMHC長崎の初代会長には松本晃さんが就任し、主要メンバーは、11月3日にJMHC熊本に挨拶に出かける。この時には松本会長のほか、後藤柾晴(JA6BRS)さん、中尾さん、上野さん、北平さんなど9名が同行している。11月14日には第1号の会報が発行された。編集を担当したのは中尾さんだった。発行部数は100部。翌年6月25日発行の3号から紙名は「ぶれーく」となる。

その後、新年パーテイ、ミーティング、FOXハンティングなど催しが徐々に開催され始め、昭和45年(1970年)3月には新会長に杉山儀太郎さんが会長に、於保武(JA6DM)さんが副会長に就任した。翌46年(1971年)5月に長崎県総合防災訓練が島原、西有家、有明を会場に行われ、JMHC長崎も参加。「自衛隊の無線機が調子悪く、ハム局の144MHz機が活躍した」との報告がある。

6月12日、九州連合の大会が初めて長崎で開かれ、島原市の九十九ホテルに131名を集めて開催された。JMHC長崎の活動はさらに盛んとなり「ハンダ除去法」の講習会、トランジスター生産工場の見学、ドライブミーティングなどが行われている。また、このころから日本赤十字長崎県支部との関係ができ「日赤無線奉仕団」との協力関係が進んでいる。

[JMHC長崎大賞]

昭和47年(1972年)8月19日、JMHC全国大会が熊本市の交通センターで開催された。第7回大会であり九州で初の開催でもあった同大会にはJMHC長崎から12名が参加している。この年の12月には1972年度の「JMHC長崎大賞」が発表された。その年に各部門で活躍された会員の功に報いるもので、4名が選出されている。

昭和46年のJMHC長崎の新年会

この催しは、全国各地のJMHC組織のどこでも行われたことのないイベントといってよい。ちなみに、その部門と名前をあげると「アンテナ部門」=杉山儀太郎さん(スケルトンスロットの製作)「リグ部門」=於母武さん(2mトランスバーターの製作)「モービル部門」=貞包勝(JA6OPX)さん(自動車の製作完了)「誘導部門」=賀来勲さん(案内が本職といわれるほどのサービス)このうち(自動車の製作完了)とはどんなものだったのか不明である。

昭和48年(1973年)3月には、新会長に中山豊昭(JA6CN)さん、副会長に永田武義(JA6QVI)さん、会計担当に大久保輝宏(JA6WOS)さん、広報担当には大久保雅史(JH6BLV)さんが選出されている。8月には念願の事務局が山口俊幸さんの自宅に置かれることになり、関係各方面との連絡が密接になっていく。

[山口さんのハムライフ]

山口さんは昭和46年(1971年)に島原で開かれた九州連合長崎大会に初めて参加し、その後、積極的にJMHC長崎の活動に加わる。山口さんは昭和16年(1941年)に長崎市内に生まれ、ラジオやアマチュア無線に興味をもち、かなりの技術力をもつようになっていた。そのため「アマチュア無線は子供の遊びという気持ちが抜け切れず」電気工事設計事務所に就職し強電分野の仕事に携わっていた。

それでも、短波放送を受信したり、FOXハンティングの催しがあれば参加したりしていた。「その集りでJMHC長崎があるということを知ったが、免許もなかったため入会はしなかった」という。「昭和46年の九州連合の長崎大会には仲間に誘われて出かけ、そこで熱気に溢れた姿を見てハムになろうという気持ちになったものの、仕事に明け暮れの生活では講習会を受講する間も、受験する間もなく日時が経過していった」と言う。

[日赤長崎県支部建屋にアンテナ]

翌昭和47年(1972年)に日本赤十字長崎支部が日赤会館を新築する話しがもちあがり、山口さんが電気関係の設計を任された。この時、知ったのは会館内に無線奉仕団の部屋が設けられることになっており、偶然にも山口さんの設計室に置いていたアイコム製の144MHz固定機IC-21からその話題が聞こえてきた。

昭和47年6月に開かれた第5回JMHC九州連合大会

「通信内容を明かしてはまずいことであるが、もう時効なので」と前置きして山口さんは語る。交信は松田謙治(JA6IDZ)さんと浜崎守(JA6RRZ)さんで「屋上にアンテナを設けたい」という内容であった。気をきかした山口さんはその希望が叶えられるよう設計を変更、同時に日赤側と交渉し「建築躯体の補強、アンテナ基礎、ケーブルダクトの設置を提案し設計をまとめて奉仕団に渡してもらった」ことがあった。

[これはやばい]

その年の暮れ、433MHz帯の運用者はあまりいないことを知った山口さんは、バラクターダイオードを使い、144MHzの特注水晶発振子を3逓倍した433MHz送受信機を製作、テスト送信していた。相手はローカル局のOM。「いつしか話しがHFのリグになり、ファイナルの真空管をダブルにし電圧も2倍に上げると10W機が50Wの出力になる、という内容になりつい時間を忘れて熱中してしまった」と言う。

433MHz送信に使っている親機には特注の水晶発振子を使っており、144.10MHzはFMでは使ってならない周波数。「スプリアスの漏れなども知らず、そんなところを聞くためには水晶を特注しなければならないはず」と山口さんは何の心配もしていなかった。

ところが、露見していた。自作のVFOを組みこんで受信していた局があり、アンテナを回転させて方向を見つけ通話内容を録音していたのである。後日、144MHzを聞いていると「アンカバーが出ているようだ」という話しが始まった。山口さんは「これはやばい」と思い「もう受験するしかない」と覚悟を決めた。