[発足のきっかけ]

前回までJMHC各地の発足をみてきた。漏れている地区もあるが完璧に掌握することができなかったためにご容赦いただきたい。東京と関西を除くと全国的に昭和40年代(1965年―1975年)に組織ができたことが分る。また、発足の形態もさまざまであった。車に無線機を載せたモービルハムが交信相手を求めて、グループを作っていたがその発展として「JMHC」結成に至ったケースが最も多い。

そのほか、最初から「JMHC」に至った地区もあり、JARLの地方クラブから「JMHC」が誕生したところもある。一方、発足のきっかけは大半が外部からの依頼を受けたのが圧倒的に多い。依頼主として活発だったのが東京の柴田さんであった。柴田さんは一時期情熱をもって、西日本地区を走り回ったことはすでに触れている。

柴田さんがそれほどまでの精力をかけて組織づくりをした目的が何であったのか。柴田さんやその後を引き継いだ東京の山田さん、横瀬さんの所には地方のJMHC組織から会報が送られてきたり、折々の催しの報告などが届けられた。柴田さんの残された資料は横瀬さんが預っておられるが、その資料の中からは柴田さんをかき立てた理由は見つからなかった。

[東低西高]

JMHC活動の活発さには「東低西高」の色彩が強い。理由は多分2つであろう。一つは柴田さんが主に東京以西を走りまわり設立を依頼したことである。もう一つは九州・熊本の原田さん、東海・名古屋の森さんのような熱心なリーダーが存在したためと考えられる。原田さんは九州各県に呼びかけて「JMHC九州連合」を作り上げ、その余韻はまだ残っており、今年(2005年)も8月に第38回九州連合大会が長崎で開催されている。

「JMHC東海」の会員数は最盛時には600名を突破した。会報は月刊で色刷りのオフセット印刷にまでなった。驚くべきことは市内にプレハブながらも「JMHC東海会館」を作り上げた。この一連の活動では森さんの力があった。さらに、その影響は当然ながら隣接県の組織づくりにも及んでいた。

[設立の目的]

柴田さんなど外部からの依頼によって設立されたとはいえ、それぞれのJMHCが目指した目的はさまざまであった。これまで何度も触れてきたように「車と無線機」の2つのステータスの道具を使い「ドライブと交信を楽しむ」点では共通しているが、単なる「楽しさ」を求めた組織もあった。「JMHC福岡」「JMHC仙台」などはその色彩が強い。

JMHC北九州は24GHzの画像伝送実験に取り組んだ

逆に、アマチュア無線の技術的な追求に力を入れたところがある。その代表が「JMHC東海」や「JMHC北九州」であった。東海では盛んに技術講習会を実施し、また、会報にもその種の掲載が多い。北九州ではVHFからUHFへと移行して実験を続け、ついには1200MHzの非常用通信網を作り上げ、さらには10GHzでの伝送実験に取り組んだ。

JMHC組織を活用してアマチュア局の育成に熱心だったのは「JMHC能登」であった。中心になって活躍した受川さんは多趣味であり、その趣味の仲間を次々とアマチュア無線の世界に引き入れてきた。また「JMHC静岡」の場合は、標高700m~1000mの朝霧高原をエリア内にもつことから、コンベンションやARDF(アマチュア無線方向探査競技)を開催し、アマチュア無線発展を支援してきた。「JMHC岐阜」では「養成課程講習会」を積極的に開催していた。

[日赤との関係]

全国各地のJMHCのほとんどはそれぞれの地域の日本赤十字支部との結びつきをもっている。非常時や災害時には車という機動力と、無線という伝達力をもつモービルハムは日赤としても貴重な存在であった。「JMHC関西」のように日赤とのつながりがきっかけとなって生まれたケースもある。

戦後、太平洋戦争により日本の国土は疲弊し”灌漑(かんがい)治水”もおろそかにされていた。その付けが回ってきたのが昭和30年前後の相次ぐ水害であった。台風や豪雨により河川が氾濫し大きな被害が出た。有線の電話が不通となり、無線設備は警察などの1部が設備していたに過ぎなかった。そのような状況下で再開されて数年のアマチュア無線が活躍した。

日赤は、全国の支部でアマチュア無線に非常通信網としての役割を依頼した。なかでも機動力をもつモービルハムに期待し、各地で「無線赤十字奉仕団」などの名称で組織が作られた。すでに、JARL地方クラブなどが日赤とつながっている地区を除きモービルハムが全面的に協力した。したがって、ミーティングなどの会場を日赤に求めたところもある。

日赤熊本県支部に置かれたJMHC熊本「救護隊」の無線設備

JMHC能登の日赤無線奉仕団が実施した救急法講習会

[救急車を持つ]

さらに、JMHCのクラブ局を日赤の支部に置き、常に支援できる体制を取っている地区もある。「無線赤十字奉仕団」の名の下に制服を揃えたり、バッチをつくった組織もある。おおらかな時期には「JMHC熊本」のように古くなった救急車を支給されたところもある。また、多くのJMHCの会員が急病人を介助する「救急員」の資格を持った。

「JMHC関西」ではメンバーの車にサイレントと赤色灯を搭載させて欲しいと要望したが断られた。ところが「JMHC京都」ではそれが認められた。地方自治体の無線設備が充実され「防災無線」の普及も目覚しいが、各地JMHCと日赤との関係は現在でも結び付きが深い。