第23話 ポケベルが手入れの警報 〜史上最悪の警官汚職〜


「犯人を捕らえてみれば、部下だった」−−。洒落にもならないお粗末な事件が、昭和57年(1982年)11月1日の夜、大阪府警で起きた。捜査2課が収賄容疑で逮捕した男は、大阪の玄関口を守る曾根崎署の防犯課風紀捜査係の巡査長(38歳)だったのである。記者会見で、谷口守正本部長が涙した。

「警察に対する府民の信頼を裏切って・・・・、深くおわびします・・・・」

コンビニ、喫茶店、スナックなどが並び、明るく賑わう阪急東通商店街。汚職警官がポケベルで、ゲーム機賭博の店に手入れの緊急警報を飛ばした暗い面影は、いまはない。風俗店の看板を掲げるおじさんが、黙然と立っていた(大阪市北区で写す)

「ゲーム機賭博でサラ金地獄!!」−−。こんな悲劇が、大阪の盛り場で続いていた。コインで手軽に遊べる喫茶店などのゲーム機が高額の賭博機に改造され、暴力団の新手の資金源になっていたからだ。この巡査長Aは、ゲーム機賭博取り締まりの最前線に居ながら、賄賂とひきかえに捜査情報を業者に漏らし続けていたのだった。

Aは「即、懲戒免職」となった。現職警官の汚職だ、当然だろう。だが記者たちは納得しなかった。泥沼のような事件に発展するに違いない、という予感を抱いていたからである。本部長は、こう続けた。

「他にもいろいろうわさがあるが、クロ、シロをはっきりさせたい・・・・」
「情報漏らし警官逮捕」−−。目をむくような大見出しが、翌2日の朝刊各紙に出た。朝日はさらに「黒いうわさは本当だった」と書いた。

「再就職のOB、後輩誘う」「逮捕の巡査長、遊び・酒食で癒着」
2本の見出しが、事件の底流をずばりと浮き彫りにした。夕刊は、さらに厳しかった。

「警官へワイロを贈る会」「毎月、情報の見返りに」
「業者グループ 警察幹部退職時には謝礼」

「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」が出たら、ハイ、賭け金の500倍。ゲーム機賭博は、一獲千金を夢見る人たちを「サラ金地獄」にたたきこんだ。そのお金が、汚職警官に、そして暴力団に流れた。

「賄賂を贈る会」とは、いったい何だ。ふざけるな〜っ・・・・。読者のそんな声が、社会部に届いた。「他にもいろいろ・・・・」と、本部長が言葉をにごした警官と業者の癒着の実態が、この記事にあったからだろう。

捜査線上にはさらに、数人の業者と複数の現職警官が浮かんでいた。各社一斉に10数人もの「警官汚職取材班」を投入して、壮烈な特ダネ競争が始まった。

夕刻、ほっとひと息ついた府警の記者クラブに、急報がとびこんできた。布施署の防犯課で、ゲーム機賭博の取り締まりを担当する巡査部長(35歳)の自殺だった。記者たちが、ラジオカーでとび出した。「私は潔白」と、上司あての遺書があった。

この事件には、実は奇妙な序曲があった。元上司の警官OBとAとの「黒いうわさ」が流れ始めたのは、1年も前のことである。大阪地検特捜部が内偵を始め、府警もAらに事情聴取を始めた。

「積年の弊に、ついにメスか・・・・」と、手ぐすねひいた記者がいた。第13話「よど号の79時間」に登場した朝日の桑野将記者である。ベテランの事件記者で、警察との付き合いは長く、深く、大阪朝日では初代の警察担当編集委員だった。

桑野の持論は「警察のガンは、業界との癒着体質」である。生活の多様化で、とくに防犯警察の許認可と取り締まりの対象は、保安、少年、公害関係などから風俗営業まで、時代を追って幅広くなった。当然、業者との接触が多くなる。酒食、遊び、金銭から退職後の再就職先の世話まで、誘惑の手がのびる。それが癒着に、そして汚職に結びついてゆく。この事件はその典型、いまこそ病根摘出の好機、と桑野は期待したのだろう。

半年後に、府警はゲーム機賭博一掃のローラー作戦を始めた。324店を摘発、業者と客1000余人を逮捕。ゲーム機1500台と、賭け金1億2000万円を押収した。そして10月中旬の府議会警察常任委員会で、赤坂侑防犯部長は「癒着や情報漏れの事実はない」と言い切ったのである。桑野の期待は、あっけなく崩れ去った。

押収した賭け金1億2000万円とは、それにしてもすごい金額ではないか。コインを入れてボタンを押すと、瞬時に勝負が決まる単純なポーカー・ゲームに、なぜそんなに血道をあげる人がいるのか。朝日が連載した「問われる病根」のなかで、ゲーム機賭博の体験取材をした記者が「ギャンブル・マシンの魔力」をこう書いている。

「ミナミのゲーム喫茶。くすんだ壁ぎわにポーカーのゲーム機が6台。賞金の倍率は2ペアの2倍から、最高はロイヤル・ストレート・フラッシュの500倍まで。簡単な操作と極端な賭博性が受けて、ブームになった・・・・」

「いちばん奥の機械に長髪、パーマの男がかじりついている。ボタンをたたき始めて3時間、もう2万3000円が消えていた・・・・。女店主ひとりのこの店で、1年間に稼いだ額は約1億円・・・・」

にぎやかなミナミの盛り場、千日前。20年前、ゲーム機賭博の店はこの周辺に150店もあった。元巡査部長Cは、すぐ近くで妻が経営するクラブに後輩の現職警官を誘い込み、手入れ情報の連絡網をつくった(大阪市南区で写す)

コインで遊べるゲーム機を1000円札専用、さらには1万円札専用に改造して、客に「一獲千金」の夢を描かせたところに、この事件の遠因があったのだろう。だが、高倍率の役が出やすいようにセットした台には、サクラが座る。「ひと晩で家を建てた」なんて、つぶやく。そんなうわさが、また客を呼ぶ。

歌手やお笑いタレント、歌舞伎役者ら著名な芸能人から議員さんまで、通い詰めていたようだ。開店から摘発されるまでの2カ月間に、37台のゲーム機が2億1600万円のお札を吸い込んだ店もあった。そんな金が、暴力団にも流れていたのである。

こんな店は当時、大阪府内に5000軒もあり、賭博ゲーム機は計1万3000台にのぼった。その半数が、キタとミナミの盛り場に集中していた。当然、取り締まりは厳しかった。しかしAは、「情報漏れはない」と言い切った赤坂部長の言葉を尻目に、署内の電話から業者のポケットベルに「緊急手入れ警報」を送り届けていたのだった。

癒着の構造と賄賂の動きが、次々と明るみに出た。朝日の見出しで紹介すると−−。

「情報流す警官グループ」「元上司中心に連絡網」(11月3日朝刊)
「新たに3業者、現職・OB警官に贈賄」(同5日夕刊)
「喫茶店主逮捕」「Aに贈賄100万円」(同6日朝刊)
「主役の警官OB逮捕」「上下の規律 逆手に利用」(同11日朝刊)
Aのほかにも、情報をもらす警官がいた。それをまとめる主役のOBが、逮捕された元港署防犯課の巡査部長C(56歳)だった。仕事は目立たないが、夜は業者と高級クラブを飲み歩き、後輩の面倒をみたようだ。退職後は、賭博ゲーム機リース業者の顧問になった。妻が経営するミナミのクラブに後輩の警官たちを集め、金まで握らせて業者に情報を流すルートをつくった。その一人が、八尾署時代の後輩のAだったのである。

「手をゆるめず、徹底的に究明を」と、三井脩・警察庁長官の指示は厳しかった。

「国民の信頼を裏切るような警官は、駆除しなければいけない。関係者の責任も、捜査を終えてから追及する・・・・」
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当然の指示だろう。とくに「駆除」という激しい言葉には、共感を抱いた読者が多かったのではないか。汚職警官は、たしかに“国民の害虫”に違いないからである。

「杉原正警察大学校長、自殺!!」−−。やっと事件の全容が見え始めた12日朝、予想もしなかった異変が起きた。前任の府警本部長だった杉原氏は、3カ月前にゲーム機賭博の一斉摘発を指示した直後に、警察大学校長に転じた。汚職捜査の進展には当然、注目し続けていただろう。こんな遺書が残されていたという。

「在任中に部下が不始末を起こしたことの、監督責任を痛感しています」
「警察庁長官候補といわれたエリートが、なぜ・・・・」。桑野は呆然とした。大阪府警の交通部長と本部長時代の2度の付き合いで、親しかったからだ。気さくで、行動派、清潔な人だった。奥さんへの手みやげのまんじゅうを持って、府下の全駐在所をくまなく回った本部長は、この人だけである。

年の瀬に、捜査はヤマを越えた。摘発された12人の業者から賄賂を受け取った現元警官は、新たに逮捕された高石署の警部補E(40歳)、西成署の巡査部長F(38歳)、同G(39歳)、元南署の巡査長D(33歳)に、自殺したBも含めて計7人となった。賄賂の総額は、確定できただけで2235万円にのぼった。

大阪府警警官汚職事件の処分
  国家公安委員会 大阪府警  
  監督責任 行為責任 監督責任
懲戒免職   4     4  
諭旨免職   5     5  
減  給 6   3   18   27  
戒  告 1   1   15   17  
訓  戒 3   17   28   48  
注  意 1   14   8   23  
11人 44人 69人 124人
年が明けて1月20日、処分が発表された。逮捕され、懲戒免職となった現職警官4人を除いて、総数120人。このなかで、業者との「黒い交際」の行為責任を問われたのは40人、うち4人は、ゲーム機業者から現金をもらったり、飲食、ゴルフの接待を受けたという理由で諭旨免職処分になった。残る80人は上司としての監督責任を問われた。谷口本部長が戒告、赤坂防犯部長が減給100分の15、1カ月などだった。

逮捕された現職警官が4人、「黒い交際」の処分が40人、監督責任を問われた80人、さらに自殺者が2人。なにもかも「史上最悪」と記録された大阪府警の警官汚職事件の捜査は、こうして終わった。この処分で、果たしてウミは出し尽くしたのか。朝日は「数だけ空前、軽い内容」という見出しで、こう書いている。

「自ら処分を受けながら、部下に処分を申し渡す署長。業者とゴルフをしても、注意処分だけの副署長、防犯課長。しかもその代金をどちらが払ったかは“わかりません”とはね返す警察当局・・・・。なおも疑惑の芽をのぞかせながら、上も下も乱れきっていることを改めて浮き彫りにした」
桑野は、厳しい「解説」を書いた。

「この事件は、積年の弊害から生じたもので、幹部の姿勢からくる構造的汚職と指摘された。部内の行政処分で、事件が終わったわけではない。体質改善への、新たなスタートを意味する。警察庁も、この事件を構造、機構的なものととらえ、全警察本部に規律の引き締めを呼びかけた。その積極的な姿勢に期待する」
2カ月後の3月21日、曾根崎署の巡査長だったAに、大阪地裁の判決が下った。「懲役3年、追徴金1105万円」。厳しい実刑判決だった。判決理由のなかで長谷川邦夫裁判官は、Cの断罪について「トカゲのしっぽ切りの感、なきにしもあらず・・・・」と述べている。弁護側の「Cの犯行は氷山の一角、巨悪が見逃されている」という主張を取り入れた、異例の陳述であった。

「巨悪」とは、何を指すのか。「巨悪を救うために、トカゲのしっぽを切った」といいたかったのか。桑野が指摘したように「ガン細胞」を摘出し、幹部から最前線の警官にまでしみこんでいる「癒着の体質」を改めない限り、汚職の根は断てそうにないという警鐘だったに違いない。


この事件を「幹部の姿勢からくる構造汚職」「公私のけじめをつける感覚のマヒ」と、厳しく指摘した桑野将さん。「積年の弊は解消されたか」と聞くと、答は「ノー」だった(龍野市の自宅で写す)

判決から、20年が過ぎた。桑野さんも72歳になったが、この事件の記憶は鮮明だった。「部内の行政処分で、事件が終わったわけではない。体質改善への、新たなスタートを意味する」と書いた厳しい「解説」が、編集委員から読者センター室長に転じた彼にとって、記者として最後の記事になったからである。

桑野さんは、警察が好きだった。30余年の記者生活のなかで、もっとも好きな持ち場が警察だった。「緊張感があって、真面目なやつがいっぱい居て、みんな生命を賭けて働いている・・・・」からである。それだけに、あの事件で見たタガのゆるんだ警察が、情けなかったのだろう。

しかし、いまだに釈然としないことがあるという。杉原さんはなぜ、自ら死を選んだのか、ということだ。「杉原さんが心配して、何度も電話してくれてなぁ・・・・」と、胸のうちを率直に話してくれた防犯部長も、いまは亡い。

「あの2人には、確かめたいことがヤマほどあるんや。いずれ、おれもあとを追うから、そのときにじっくり質すつもりや・・・・」
いまもなお、社会部記者のど根性が抜け切らない桑野さんである。


◇参考資料・文献◇
朝日新聞記事