ホームアマチュア無線機器トップBEACONトップエレクトロニクス立国の源流を探る > No.32 日本のエレクトロニクスを支えた技術 「電卓」第5回

エレクトロニクス立国の源流を探る


前の記事  | 

No.32 日本のエレクトロニクスを支えた技術 「電卓」第5回

トップメーカーとしての意地にかけてシャープも追従
1972年8月に発売された12,800円のカシオミニは、ライバルメーカーにとって大きな脅威となった。カシオミニに対抗できる低価格の電卓を早急に開発しなければならない。とは言ってもこの難題を解決できるメーカーは限られてくる。開発技術力、資金力、コスト低減のための量産体制など、どれ一つをとっても至難の業だった。

このため数十社あった電卓メーカーだが、次々と電卓市場から撤退せざるを得ない状況となり、やがて数社に絞られていく。当時、業界トップだったシャープにとっても電卓事業の存続さえ危ぶまれる事態となったが、トップメーカーとしての意地もあり、おいそれと尻尾を巻くわけには行かなかった。

シャープとオムロンがカシオミニ対抗機を発売
シャープでは、価格面でカシオミニに負けない低価格電卓の開発と、低価格だけではなく高付加価値の新しいタイプの電卓の開発の2つの戦略で対抗していくこととなった。そして開発されたのが、1973年に発売された表示桁数3桁の電卓EL-120だった。表示桁数を3桁に抑えることで9,900円と、10,000円の壁を下回ることに成功したのである。また、オムロンは同年にカシオミニと同じ表示桁数6桁で12,800円のオムロン60を発売する。
photo

オムロン60

シャープがカシオミニ対抗策として高付加価値タイプ電卓を開発
そして、シャープが打ち出したもう1つのカシオミニ対抗策が高付加価値タイプの電卓であり、液晶表示を採用した新しいタイプの電卓である。これまでの電卓は電池の消耗が速く稼働時間が短いのが欠点となっていた。表示装置である蛍光表示管やLED(発光ダイオード)の消費電力が大きいため電池の消耗が速かったのである。また、稼働時間を長くすれば、大きな電池が必要となりポケット電卓ではなくなってしまう。

シャープが液晶を表示装置として実用化研究に着手
シャープでは、1970年あたりから消費電力が少なく、省エネで小型化できる表示装置として液晶の研究を開始していた。液晶は少ない電力で動作できるということはすでに知られていたが、液晶を表示装置として実用化するのが難しかった。世界の研究者が優れた特性を認めながらも、実用化は難しいとさじを投げていたのは、液晶の材料や成分配合に難しさがあったためだった。

1973年、電卓の表示装置として世界初の液晶ディスプレイ開発に成功
しかし、シャープ研究陣の必死の努力で、1973年に電卓の表示装置として使える世界初の液晶ディスプレイの開発に成功したのだった。これによって1枚のガラス板に液晶、C-MOS-LSI、配線などの計算機の全機能を集約した液晶ディスプレイ搭載のCOS化電卓、「EL-805」の開発に成功したのである。COSとはCrystal-on-Substrate若しくはCalculator-on-Substrateの略で1枚のガラス基板上に、表示、回路、キー接点等全機能を一体化したことを現している。
photo

シャープの液晶電卓EL-805

単3電池一本で100時間も使用することが可能に
EL-805は、世界で始めてCOS-LCD を搭載することにより単3電池一本で100時間も使用することが可能だった。価格は26.800円とカシオミニに比べると高かったが、電池寿命を考慮するとこの価格差は消費者にとって納得できるものであった。同社の第1号電卓に比べると、厚さ1/12、重さ1/125、部品点数1/250、価格1/20、そして消費電力は1/9000である。そして何より単3電池一本で100時間も使用することは、それまでの電卓を根底から覆すほどの画期的なものだったことから、爆発的なヒット商品となった。

シャープの経営の柱として育って行くことになる液晶
実際、EL-805の爆発的なヒットは、シャープを窮地から救うことになり、電卓業界のリーダーの地位を確保し続けることができたのだった。そしてこの液晶電卓開発の成功が、その後の液晶技術革新に結びついて行く。液晶は、電卓・時計からAV機器や情報機器をはじめ、あらゆる分野で応用されるキーデバイスへと発展して行く。そして“液晶テレビのシャープ”として、シャープの経営の柱として育って行く。

液晶電卓の普及とともに多くの電卓メーカーが撤退
シャープの液晶電卓EL-805発売以降、他社も液晶表示搭載の電卓を発売して行くことになり、電池の消費量が蛍光表示管やLED表示電卓と比べ極めて少ないことから、ポケット電卓を中心に液晶化が進み、蛍光表示管やLEDタイプの電卓は急速に市場から消えて行った。そして多くの電卓メーカーが市場から撤退し、電卓市場の寡占化が進んでいった。

1971年当時、40社を越していた電卓メーカーは、厳しい価格競争と小型化、長時間駆動競争に耐えられず次々に撤退して行った。このため電卓市場はカシオ計算機、シャープの両社が2大勢力となりマーケットシェアも両社で約80%を占めるようになる。残る他のメーカーも事業規模を縮小したり、赤字ながらも細々と継続したりしていかざるをえない状況になった。

シャープとカシオのシェア寡占化でも終わらなかった電卓戦争
ついに、シャープとカシオ計算機による電卓マーケットシェアの独占状態となったが、それでも電卓戦争はまだ終わりではなかった。シャープとカシオ計算機のシェア争いは一層激化するとともに、更なる低価格化と、究極の薄型電卓“カード電卓”、“名刺サイズ電卓”開発への技術競争、さらには関数電卓、多機能電卓、複合電卓へと果てしない電卓戦争が続くのだった。

参考資料:「電子立国・日本の突破口」(佐々木正著:光文社)、「原点は夢 わが発想のテクノロジー」(佐々木正著:講談社)、「シャープのスパイラル成長経営」(下田博次著:にっかん書房)、「躍進シャープ」(宮元惇夫著:日本能率協会マネージメントセンター)、シャープ広報資料、カシオ計算機広報資料、電卓博物館、電卓の歴史(東京理科大学)


前の記事  | 
←記事一覧