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エレクトロニクス立国の源流を探る


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No.43 日本のエレクトロニクスを支えた技術「日本語ワープロ」第1回

エレクトロニクス技術発展、日本語文化に貢献した「日本語ワープロ」
今、携帯電話でメールを送ったり、受け取ったりしているのは、我々の日常生活における極普通のシーンとなっている。子供から年配者まで、携帯電話のキーをたたいて、「仮名漢字混じり」の文章を作成している。それも電車の中などで、片手で携帯電話をもって親指一本でメールを作成しているのである。

実は、これを可能とした技術が「日本語ワープロ(ワードプロセッサ)」商品化において開発された「仮名漢字変換」技術によってもたらされているのだ。今日では、「日本語ワープロ専用機」として単品販売されることは無く、パソコンの一つの機能として日常的に使われようになったが、「日本語ワープロ」が果たしたエレクトロニクス技術発展や、日本語文化に与えた影響は非常に大きいものがある。

1978年、初の「日本語ワープロ」東芝「JW-10」発表
「日本語ワープロ」が衝撃的にデビューしたのは1978年(昭和53年)の9月に発表された、東芝の「JW-10」だった。価格は630万円で、当時の物価の中での630万円はかなり高価な機械と言えるだろう。それでも「JW-10」の反響は大きかった。なにせ、それまでは「ワードプロセッサ」なる商品の概念さえ、知られておらず、ましてや「日本語ワードプロセッサ」などというものは世の中になかったのである。
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初の「日本語ワープロ」東芝「JW-10」(価格:630万円)

米国IBMが「ワードプロセッサ」の概念を初めて使用
「ワードプロセッサ」なる概念を初めて使用したのは、米国のIBMが1960年代の終わり頃、文書を磁気テープに記録していき、再利用するというシステムだったと言われている。英文はタイプライターできれいに打つことができる。しかし、1ページの文書を最後の行で打ち間違えても、まるごと1ページ破棄してしまうか、多少汚くても砂消しゴムで消して打ち直すしかなかった。

この問題を解消する方法として、入力した文書データを磁気テープに記録しておき、編集できるようにし、スペルなど間違いがあれば修正するというものだった。文字数の少ない英文だから可能だったシステムである。

「日本語ワープロ」登場以前の日本語処理は?
では、日本語(和文)ではどうだったのだろうか? 日本語の場合は、漢字という難題がついてまわる。漢字は常用漢字に限っても1945字あり、人名漢字284字を合わせると2,229字に及ぶ。この漢字をどのようにして簡単、高速に入力できるかは、大きな問題だった。

当時、漢字入力は、「和文タイプライター」を使い、全文字の配列キーボードで打ち出していた。「和文タイプライター」は、活字の詰まったスライド式のバケット部と、それを機械的に取り出して、原稿にインクリボン越しに打ち付けるピックアップ、それと活字の配列に対応した配列ボードで、ピックアップ出来る活字を示すファインダーから成っており、1文字ずつ打って行くものだった。
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和文タイプライター

専門知識が必要だった「和文タイプライター」
だが、約2000文字もの活字から、必要な文字を探して1文字ずつ打ち込んで行くため、これを操作するにはかなりの技能が必要だった。しかも、鉛の活字がたくさん入っており、非常に重く、操作音も大きく、扱いづらいものだった。余談になるが、1984年に発生した誘拐・恐喝事件「グリコ・森永事件」で脅迫状等が和文タイプライターで製作され、活字体の癖から機種特定にまで至るが、犯人特定に至らず時効が成立している。

また、特許の申請など公式な書類は、「和文タイプライター」で作成する必要があったが、高価な「和文タイプライター」を誰でも使えるというわけではなく、専門の業者に依頼するしかなかった。むろん活字のサイズや書体は鉛の活字で決まってしまうので、今の「日本語ワープロ」のように自由自在に編集ができるわけではなかった。

新聞社からの要望が「日本語ワープロ」開発のきっかけに
「日本語を誰でも活字で美しい文書にすることができれば」という要求は、かなり以前からあった。英文なら誰でもタイプライターを使って文書や手紙を活字できれいに作れるのに、という羨望みたいなものが渦巻いていたのは事実だろう。中でも作家や新聞関係者、印刷業者などにおいては、なおさらである。実は、東芝が「日本語ワープロ」の開発を手掛けるきっかけとなったのも新聞社からある要望があったからだ。

記者が書いた原稿を本社のコンピューターに送るシステム開発を目指す
当然、当時はまだ「日本語ワープロ」などという発想は無かった。ただ、各新聞社は、新聞作成段階における機械化、コンピューター化には力を入れていた。そして輪転機の高速化はめざましく、短時間に大量の部数を印刷できるようになってきた。その頃には原版を作るための活字を拾い上げる「漢テレけん盤」が開発され、オペレーターが高速で活字を拾い上げられるようになった。

ところが、その前の原稿作成では、相変わらずシャープペンシルやペンが使われ、あまり効率は上がっていなかった。記者が書いた原稿を電話で送稿、それを受けた者が原稿に書き直し、さらにデスクがチェックするといった具合。そこで「記者が書いた原稿をそのまま本社のコンピューターに送るシステムができないか」という要望が営業マンを通して東芝に入ったのだった。

想像以上に速かった「漢テレけん盤」での打ち込み
当時、東芝の研究所にいた森健一氏はその話を聞き「これは我々でできる。やりましょう」と答えた。そこで、さっそく新聞社に行って新聞製作現場を視察した。まず、「新聞記者はどのぐらいのスピードで原稿を書いているのか」「活字を取り上げる漢テレけん盤のスピードはどの位速いのか」を確認することにした。そこで驚いたのはベテランオペレーターの「漢テレけん盤」による文字の打ち込みスピードが1分間に約80文字と手書きスピードに勝るとも劣らないことだった。

一筋縄ではいかないことを予感させた「日本語ワープロ」開発
「漢テレけん盤」は、200ほどのけん盤が並んでいて、その1つ1つのけん盤には、15ほどの文字が載っている。オペレーターは、右手でけん盤を選び、左手で15文字の中から必要な1文字を選ぶ作業を繰り返す。左右の手、指を最大限有効に使い高速で必要な文字を選ぶ様子は、まさに英文タイプライターのようであった。うちの技術力をもってすれば、そう難しくはないだろうと思っていた森さんだが「これは一筋縄ではいかないかも」と不安がよぎった。ここから東芝の「日本語ワープロ」開発の苦闘が始まることになる。


参考資料:「新・匠の時代」(内橋克人著:文芸春秋)、東芝科学館、「日本語ワープロの誕生」(森健一、八木橋利明:丸善)、社団法人情報処理学会HP、Wikipediaほか


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